萬珍樓物語

明治25年

萬珍樓のはじまり

幕末に日本が開国し、安政6(1859)年に港が開かれると、横浜には
中国から大勢の人々が訪れるようになりました。
やがて、清国領事館が開設され、明治6(1873)年には、関帝廟も建立。
横浜中華街が大きな一歩を踏み出したこの頃、萬珍樓も産声をあげました。

昭和21年

大震災と再建

その後、横浜中華街は大震災と戦争、二度の大きな災厄に見舞われましたが、
華僑の団結力とバイタリティーで迅速に復興が進められ、更なる発展を遂げて、現在の中華街が完成。
萬珍樓も昭和21(1946)年8月、有限公司萬珍樓として、再スタートを切りました。

令和元年

そして、今

明治、大正、昭和、平成、そして令和。時代とともに、街の様子やお客様も変わっていきました。
萬珍樓はいつの時代でも、その時々のお客様に喜んでいただける中国料理を追求し続けています。
創業以来変わることのない、
おもてなしの心とともに…。

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